正眼院の歴史
正眼院の歴史は、今からおよそ九百八十年前、後一条天皇の勅願仏として、定朝仏師によって造られた拈華微笑の釈迦牟尼佛をご本尊様としてまつられたところより始まります。
天台宗二十五代、臨済宗三代を経て、明応三年(1494年)平原城主依田全真により天英祥貞禅師を請待されて曹洞宗のお寺として開基されました。
天文十八年、武田信玄の平原城攻めの際、兵火により諸堂は焼失し、現在の本堂は宝暦十一年 十九世無庵祖心和尚の代に再建立されたものです。
正眼院の本尊
正眼院の本尊さまは般若心経を説かれた般若会上の拈華微笑の釈迦牟尼佛であり、脇侍には迦葉尊者・阿難尊者がまつられています。
ご本尊様は後一条天皇勅願仏である拈華微笑のお釈迦様です。
元来の脇侍は迦葉尊者・阿難尊者でありますが仏縁を頂きまして、現在は文殊菩薩・普賢菩薩もまつられています。
また坐禅堂にはおよそ6mの金色の弥勒如来様がまつられています。
星祭り
その他にも般若会上十六大善神さまと迦葉尊者、金勝会上の諸天善神と兎率会上諸天善神さま、星祭り諸天をまつる霊験あらたかな珍しいお寺であります。
出世開運
出世開運の霊場として、多くの人々の崇敬を集め、地元の方からは「八満のしょうごいん」と呼ばれ親しまれています。この由縁は、正眼院は平安時代京都の聖護院の流れを汲んで建てられた天台宗のお寺が始まりであり、その名残が残っているからです。
天井絵
本堂東序には名立帰山先生の書かれた「玉兎龍」と「隻履達磨」の天井絵がございます。
本堂内の襖の多くが名立帰山先生の作であり、歴代祖師の頂相図(ちんそうず)が描かれています。
また本堂内陣・大間の天井には歴代祖師と歴代住職の漆絵が描かれています。
境内案内
お釈迦様
境内には小諸城より移築されました黒門本堂前には丈六の拈華微笑のお釈迦様がお坐りになっております。
また極楽地蔵尊や子育て観音、他にも多くの仏様が皆様をお迎えいたします。
黒門
正眼院の山門は、小諸城(現在の懐古園)の一番奥にあった一ノ門であります。通称を黒門と申します。この門のあった場所は、現在の三ノ門を入って右側に進み、石垣の曲がりくねった所に二ノ門があり、さらに進んだ橋を渡った処にありました。
黒門は慶長十七年(1613年)に小諸城主仙石越前守秀久公の時に起工され、仙石兵部少輔忠政公の時に完成されたものであります。
其の後、明治維新に際し廃城となり、明治四年正眼院に移して改築したものであります。
文政七年、正眼院の住職となられた二十三世素広大船和尚の時代には、小諸城主牧野公は度々正眼院に参られて、大船和尚が御相手を仕り囲碁をなされ、また大船和尚が小諸城登城の折は、お駕籠で三ノ門、二ノ門を入り、一ノ門まで乗り入れを許された程の御交流であったそうです。
其のように大変懇意の故を以て、明治維新後、牧野公が江戸に御転居される際し、黒門を頂いたものであると言われています。